この鉛製の牛は中央アジア、アフガニスタン北部、バクトリア地方のものと考えられていますが、背中に大変機能的な把手が付き、足は直立。咽の皮膚のたるみやごく自然な筋肉のつきかたなど極めて写実的な表現を見せています。
同地域に由来すると思われる円盤状の分銅にも見られますが、前半身から顔面中央にかけ特徴的な鱗状の体毛の意匠が施され、うつ向いた体勢をとっています。
重量の点では当時のバクトリア地方で使用されたと思われる単位とよく合致していると思われますが、頻繁に使用したならば磨耗するはずの把手が足よりも磨耗がない事と、
形態から考えてすでに実用品の域を脱し、他の分銅でも指摘されるように権威を示すものとなっていたのではないかと思われます。あるいは一種の儀器であったのかもしれません。
このバクトリア地方は銀も豊富に産出し多くの銀器がつくられました。通常銀は鉛の鉱脈に含まれており、この銀を精錬する時に副産物としてできた鉛を分銅として適応したとも考えられます。
・堀晄/ イランおよびアフガニスタン出土の分銅について/ 深井晋司博士追悼 シルクロード美術論集 吉川弘文館 1987
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