薄いエレクトラム板を使った器は単に打ち出し成型では割れやすいことが予想され、数枚の板で構成されなければならなかったと思われますが、それ以上にこの場合はそれがおそらく埋葬用の儀式用の器であったという関連で容易にこのような技法と結び付いたのではなかったでしょうか。
口縁の仕上げは補強してあるとは言え危ういものがあり、日常の用を目的としていなかったと思われます。
更にマルリクや黒海東岸インド・ヨーロッパ系スキタイの遺跡等からも薄い金板やエレクトラムで作られた埋葬儀器が見つかっています。
このことはエレクトラムや薄い金板を儀器製作のために使う何等かの必然性と経済的必要性のあった事が予想される時代の産物としてこのエレクトラムの器を考えさせるものがあります。
この杯が作られた紀元前二千年紀初期頃より南イランのエラムが勢力を増し、東イランを中心とした金資源が西アジアでは入手できなくなり、はるばるエジプトに求めるようになりました。
二千年紀中頃のバビロニア・カッシート期になると、金が交易の支払手段として使われましたが、当時の金と銀の比率は1:9でした。
この情況の中で金に似たエレクトラムの使用が余儀なくされた事も想像されます。
一般的にはエレクトラムが金と銀の合金であるという認識及びその分離技術が発達したのは紀元前6世紀の中頃であると言われていますが、金とは違った何らか特殊な徳を備えた金属として認識されていた可能性もあります。
ローマ時代のプリニウスによれば、天然のエレクトラムの器は毒味の働きがあり、毒が注がれると虹のような半円形がその表面に走り、ぱちぱちと言う火の燃えるような音をたてるとされています。
あるいはエレクトラムの杯にはこの紀元前二千年紀後半頃の西アジアにおいてもそのような一種の魔除(まよけ)のはたらきが考えられていたのかもしれません。
古代メソポタミアの疾病に対する魔除けと癒しの儀礼には、しばしば魚の衣とライオンの頭部をつけた人物が登場します。
マルリク出土の薄い金板による器には、魚の文様が刻まれ、北西イラン由来と言われるエレクトラムの器(Culican 1965, pl.7)にはライオンの頭部を持った魔物と魚が刻まれています。
このような薄い金あるいはエレクトラムで作られた器には、古代の呪術的な癒しあるいは魔除けのならわしにつながる何等かの意味合いが込められていた可能性が考えられます。
・William Culican/ The Medes and Persians/ New York 1965 , pl. 7 ;
・Horst Klengel/ Handel und Haendler im alten Orient/ 1983 Leipzig;
・Pliny/ Natural History/ XXXIII 81;
・Eric M. Meyers / The Oxford Encyclopedia of Archaeology in the Near East/ London
1997;
・Erica Reiner/ Astral Magic in Babylonia/ Philadelphia 1995
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