ウラルトゥはヒッタイト帝国の要部を構成していたアナトリア高原(現在のトルコ付近)の民族フリアンの建てた国で、銀、銅、鉄の資源が豊富であり、早くから金属工芸が栄えました。

フリアンは紀元前二千年紀ヒッタイト帝国の時代にエジプトと盛んな交渉があり、多くの影響を受けました。ペクトラルの形態は何らかエジプトの胸飾を想わせるものがあり、東地中海岸ビュブロスからは紀元前二千年紀のエジプトの影響を直接受けたと思われるペクトラルが見つかっています。

また紀元前一千年紀初頭にはウラルトゥはギリシャや北イタリアのエトルリアとの交易を独占し、西アジアの要素をこの地中海域に積極的にもたらしました。

同じ頃ウラルトゥ及び北西イランをめぐる地域には更に北方からのイラン系スキタイの侵入が頻繁になるなど、多数の民族が入り乱れ、複雑な文化的融合を産み出して行きました。

北西イラン・ウルミア湖の南、ジヴィエからは薄い金板に精緻な文様の刻まれたペクトラルが発見されていますが、そこに表された動物はスキタイ様式であり、有翼牛の表現はアッシリア様式を踏襲しています。

ウラルトゥ扇型馬具
古代オリエント地図 Map of Ancient Orient

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ペクトラル(胸飾)