両獅子の背中に等しくあらわれている翼を思わせる盛り上がった筋様の表現は、その起源をおそらくアッシリアの宮殿を飾った彫刻の獣の胴体の自然主義的表現から発展し、様式化していった肋骨表現に求める事ができると思われます。
またそれに影響を受けかつ多少硬直化した同時代のアナトリア半島の肋骨表現にも通うものがあり、同地域にはその流れを汲んだと思われる牛を表現したリュトンも見られます。
牡牛を含め各々が舌を突き出している表現もこのアナトリアの影響を物語るものであると言えます。
一方獅子の頬の表現は、たいへんアケメネス朝ペルシャに特有な特徴を示しています。
これらのことから、この器はアケメネス朝ペルシャに先立ち、西イランから覇権を拡大させていったメディアの美術様式を示しているのではないかという見方があります。
Andre Parrot/ The Arts of Assyria/ 1961 New York #34,43,53,58,73,84,96,98; Ekrem Akurgal/ Orient und Okzident/ 1966 Waden Abb.16,21; Von Leonard Woolley/ Mesopotamien und Vorderasien/ 1962 Baden p.145
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