鎌倉時代 13世紀 文永2年(1265)
紙本墨書
縦:26.8cm 横:39.0cm
如大尼は俗名を千代能。父は執権北条氏の外戚の安達景盛(のち大蓮房,高野山金剛三
昧院開基。明恵上人の弟子)。北条氏の一門の金沢氏に嫁したが,夫が早世したので仏門に入った。このかな文は紙上法話ともいえるもの。花押は「如大」を合字した草名ら
しい。渡来の禅僧無学祖元(仏光国師。鎌倉円覚寺開山)を師として出家したといわれるが,それ以前に五辻大宮の地に尼寺(のち臨済宗景愛寺)を寄進され開山となったのがわかる。弘安2年(1279)来朝の仏光に嗣法,同派の高峰顕日(夢窓国師の師。皇族出身)らの協力で寺観を整えた。同9年示寂の仏光の塔所として正脈院(仁和寺東北,のち真如寺)を建立,景愛寺は仏光派の京都進出の拠点となった。永仁6年(1298)11月28日示寂,世寿76歳。正脈院に葬った(「真如寺仏殿蔵年牌」)。鎌倉武家の子女の教界活動が盛んだったのがわかる。『雲州名物帳』(松平出雲守治郷の茶器名物集)に「千代能の文」が江戸深川の冬木家の旧蔵として掲げられた。なお,不昧侯は天明年間に購入したと注記が見える。鎌倉女将軍平政子に次ぐ女流消息の名物として推賞されたらしい。 (永島)
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