天治元年(1124)に書写された万葉集であることからその名があり、「天治万葉」ともいう。もとは二十巻本であったと思われるが、巻二、十、十三、十四、十五の5巻のみが伝わり、巻十三のみが完本である。この断簡はそのうちの巻十で、京都の仁和寺に伝えられていたことから「仁和寺切」と呼ばれる。もと巻子本で、仙花紙という料紙の上に真名一行、次に仮名一行半で歌を書く。もともと天治本万葉集は学問上の必要から書写されたものであるため、調度や手本としたもののような料紙や筆跡の華麗さはないが、天治または大治の書写年月が記されているところに大きな意義があるといえよう。五大万葉のひとつに数えられる。筆者は藤原忠家といわれるが、没年からすると天治万葉の筆者ではない。
関連美術品
天治本万葉集巻第十断簡(仁和寺切)