藤原定家の私家集「拾遺愚草」に収められた五月雨の一首を二行に書く。藤原定家は自らの筆跡を評して「鬼」の如しと卑下していたが、後代、歌聖として歴史的評価が確定するに伴い、その書は定家流としてもてはやされることとなる。特に晩年の肥痩の変化に富んだ書風は、歌人を中心に広く行われている。本幅は、晩年に見られるような極端な肥痩の変化がないことから、壮年期に書かれたものと思われる。

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詠草(藤原定家筆) 五月雨