豊臣秀吉による文禄・慶長の役(丁酉倭乱)で日本に連れてこられ朝鮮の陶工・李参平(りさんぺい)が有田町泉山(いずみやま)に白磁鉱脈を発見し、元和二年(1616)に白磁の焼成に成功したといわれている。これが日本で初めて焼かれた磁器とされている。初期の作品は中国古染付の影響を受けつつも、技術的には未熟であるため完全な磁器には至らなかった。しかしそれが逆に独特の釉調を示す結果となり、特に初期伊万里(古伊万里)と呼ばれて後世茶人の間で賞玩された。この徳利はいわゆる四君子といわれる梅、竹、蘭、菊が呉須で描かれ、縦に二筋の畝が施された面取状の器胎となっている。釉調はややかたいものの、伸び伸びと描かれた染付は初期の様相を呈している。

関連美術品
伊万里染付四君子文徳利