尾形乾山(一六六三〜一七四三)は光琳の実弟。仁清に作陶技法を学び京都の北西(乾)に鳴滝窯を開いたため、「乾山焼」の呼称が生まれた。数ものの食器が多く、工房として複数の職人が制作に携わっていたと考えられているが、器胎自体をキャンバス代わりにし、和歌や漢詩を書き付け、草花をデフォルメし、色絵付けをするなど、優れたデザイナーぶりを発揮している。本作も型造りによる成形に高台を貼り付けたもので、素地の上に白泥を刷毛塗りし,銹絵で流水文を描き込んでから,半透明の釉を掛けて本焼きしている。上絵は重なり合う紅葉の葉を金彩で縁どってから,赤・黄・緑の絵具を施し、紅葉漂う竜田川を情緒たっぷりに表現している。流水や紅葉の配色を巧みに変え、型造りであることを感じさせない工夫がなされており、乾山の面目躍如といったところであろう。高台内には角枠付の「乾山」銘が記されている。

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乾山色絵竜田川図向付