この把手が首下と器腹下部をつなぐ水差の様式はササン朝ペルシアのものであるが、通常把手の頂につく球形は兜を被る人頭に置き換えられ、把手の付根は西中央アジアで勝利の神を象徴した駱駝の頭部に象られている。器腹に表されたギリシアのトロヤ戦争譚の3場面は細部に錯誤が見られ、人物の瞳孔の強い表現は西中央アジア金属器の特徴を示す。また器腹下部に刻まれた水中の怪獣はインド・グプタ様式を思わせる。この混交様式は西中央アジアのバクトリア様式を示し、贈物としてめでたい題材を集めたものであろう。これを副葬品とした墓主李賢は甘粛の名家の出で北魏、西魏、北周の時代を通じ多くの官職を歴任し、北周武帝の厚い信任を得た。この水差は帝の下賜品であったと思われる。(IH)
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人物文水差