墓主の虞弘は中央アジアの魚国の出身で、若くして茹じょ茹じょ国(柔然)に仕えてペルシア、吐と谷よく渾こんなどに使いした。その後、北斉に出使して、北斉、北周、隋で官職を歴任し、北周ではソグド人などを管掌する「検校薩保府」となった。
この棺槨は白玉石を使って間口3間の木造殿堂建築を模す。画像は3部に分かれ、正面外壁、左右と奥の内壁に描かれた9点の浮彫彩色画像、左右と奥の外壁に描かれた7点の彩色画像、台座側面に描かれた29点の浮彫彩色画像がある。注目すべきは9点の浮彫彩色画像で、駱駝や象に乗って狩猟する有様、日月冠をつけた貴人の騎馬出行の光景、墓主夫婦が胡騰舞など舞楽を楽しみながら宴飲する光景などが描かれていた。中央アジアのイラン系民族や北方の突厥民族などの風俗と同時に、中国国内のソグド人などの実態を知る珍しいもので、台座浮彫画像には人首鳥身の祭司が拝火壇の前で行うゾロアスター教(K教)の儀式の光景も描かれていた。近年世界的に盛んなソグド人研究のきっかけをなし、その後、北周の安伽墓、史君墓などからソグド人の石棺床屏風、石槨が相次いで発見された。MIHO MUSEUM 所蔵の石棺床屏風もこの一種である。(SH)

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棺槨(21点)