中央アジアではビザンチン金貨の倣製品が作られた。それは5?6世紀のソリドゥス金貨に倣ったものであり薄い金板にしばしば片面のみの意匠を打製した。184?186の倣製金貨は中央アジアにその出自を持つ史一族の墓由来のものであり、中央アジアからもたらされたものと思われる。185の面影、胸のあたりの衣文、槍を背負う仕草そして連珠装飾の冠は理解できるが立体感はなく、銘文は完全に崩れている。これは倣製硬貨を更に倣製したものと思われる。原本からは遥かに隔たってはいるが、その図像の特徴から皇帝アナスタシウス(治世491?518)、ユスティヌス一世(治世518?527)あるいはユスティニアヌス一世(治世527?565)のソリドゥス金貨に倣ったものであろう。これに類似したユスティヌス二世(治世565?578)金貨の倣製品と思われるものがアスターナ古墳から出土したスタイン・コレクションに見られるが、これはより立体的なもので185はこの種のものを倣って作られたものかも知れない。上下に穴があけられ、アプリケなどの装飾品として使われたものであろう。
184は185よりも後に副葬されたものであるが、金板が厚く顔面からヘルメットにかけての図像の作行は端整かつ立体的で、縁もササン朝硬貨のように広くとってあり異なった工房で作られたものと思われる。このような正面から3/4の角度で皇帝を描く硬貨の様式は4世紀から行われるようになりユスティニアヌス一世の治世まで続いた。
186は王冠、首飾、イヤリングなどの様式及び銘文から、ササン朝のアルダシール三世(治世628?630)のドラクマ銀貨を写したものと思われる。通常見られる広い縁はなく、中央メダイオンの外側に巡らす月と星、冠のバルーン状の飾りは見られない。ササン朝ペルシアで金貨は記念品としてのみ作られたが、アルダシール三世の治世で発行された記録はない。中国ではアルダシール三世の銀貨は見つかっておらず、その先王ホスロー二世の銀貨は中国に大量に流入した最後のササン朝硬貨であった。これもビザンチン金貨と同様に中央アジアで作られ、頂部に穴をあけ装飾品として使われたものと思われる。(IH)
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