聖母像 メトロポリタン美術館蔵 図録解説
ビザンティン後期のモザイク・イコンである。これほど緻密に作られているものは珍しく、絵画と見紛うばかりである註1。慈愛に満ちた表情で幼子イエスを抱く、聖母マリアの上半身の肖像画が描かれている。マリアの顔の横とイエスの頭の上にある黒い文字はギリシャ語の略語で、それぞれ「神の母」と「イエス・キリスト」を意味する。まばゆい金色を背景に、マリアは左腕でイエスを抱え、右手は幼子の膝に触れるような優雅な仕草を見せている。頬がそっと触れ合うように首を傾げながら、悲しそうに遠くを見つめるマリア。イエスは母の胸に手を伸ばしてしがみつきながら、その顔を上げ、頬をすり寄せている。マリアは紫のマントを纏っている。イエスのほうは、緑のチュニックと赤いマントに裸足といういでたちである。2人の頭の後ろには色鮮やかな光輪が描かれている。イエスの光輪に見える2本の赤い筋は、キリストの図像で磔刑のシンボルとして描かれる3本の横木を表している。3本目はマリアの頭の後ろに隠れて見えない。
このように聖母マリアを優しく愛情深い母親として描写した像は、慈悲の聖母(Virgin Elousa)として知られている。中世にギリシャ正教(ビザンティン帝国の国教)の発展と共に見られるようになったテーマである。この像はルネサンス期イタリアの聖母子像に影響を与え、やがて世界各地のキリスト教圏へと広がっていくことになる。人間の罪を贖うために、大人になったイエスは自ら生贄となり、十字架上で死を遂げる。絵を見る人がそのことに思いをはせ、より良い人生を生きようという気になれるよう、ここではキリストの慈愛が強調されて描かれている。マントの赤色は磔刑を表している。裸足なのは、大人になったイエスの両足が釘で貫かれるのだということを見る人に連想させるためである。マリアは未来に目をやり、やがて訪れるわが子の死を思っている。紫はビザンティン王室の色。古代イスラエルのダビデ王の子孫であることの証しとして、マリアは深い紫色のマントを纏っている。
イコンの裏面には、15世紀後半の人文主義者の手によるラテン語の文があり、このイコンは4世紀にアレキサンドリアの聖カタリナがキリスト教に改宗するきっかけとなったものであると説明している。聖カタリナの改宗はしかし、この種のイコン様式が生まれるはるか昔に起きたことである。伝説によると、貴族の娘だったカタリナは1枚の聖母子像に深い感銘を受けるも、信仰に篤くないとして絵のキリストに背を向けられてしまった。その後、彼女はキリスト教徒になったということである。手のひらに収まるサイズのこの小さな絵に、昔の記憶を呼び起こす力があることは、4世紀のものだとする大胆な主張がなされていることからも明らかである註2。
このモザイク画は、絵の四方を囲むギルトウッドの木製額縁(木製の額縁に金箔を被せたもの)に蜜蝋を流し込んで作った土台の上に、ごく小さなテッセラ(モザイクを構成する細かな角片)を敷き詰めて作られている。モザイク部分は修復が施されている註3。多くの細密モザイク・イコンがそうであるように、作られた当初、この額縁も装飾が施された金属で覆われていたと思われる註4。 (Helen C. Evans)
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