色絵薄図蓋付碗 美し 乾山 四季彩菜 図録解説
ロクロで薄く丁寧に成形された素地に白化粧が施され、その上から銹絵と染付で薄を描き、無地の部分を緑の上絵付けで掛け分けた蓋付の碗。
薄の意匠は、よく武蔵野図ともいわれます。荒涼としてさえぎるもののない広大な武蔵野は、古くから紫草(むらさき)の生息する地としても知られてきました。その野趣にさまざまな想いを託して多くの和歌が詠まれ、万葉集や古今和歌集はじめ伊勢物語の第四十一段にも登場しています。江戸時代以降は古都京都に比肩する名所として意匠化され、薄など秋草の図柄で多くの作品にとり入れられてきました。
この片身替りの意匠には織部焼の影響が感じとれます。無地と文様部分、色づかいの明暗のコントラストはまさに織部焼によってあみ出された意匠であり、桃山時代以降、織部焼はじめ数多くの美濃焼が京都に流通していたことは市内の屋敷跡から出る遺物からも明らかにされています。乾山がそれら食器類を目にしていたことは当然考えられ、そこから着想を得たとしても何ら不思議はありません。また、織部焼の図柄は辻が花など着物と関連性があるといわれていますし、乾山の生家が呉服商・雁金屋であることも考え合わせると、織部焼に刺激を受けたことは当然のことといえるかも知れません。鳴滝窯跡遺物の中には織部意匠の陶片が含まれており、乾山は鳴滝時代から自身の作品にもとり込んでいたことがうかがえます。ここに見る薄の文様には、京焼の繊細さは微塵もなく、宗達、光悦、光琳の流れをくむ、いわば琳派の意匠性が発揮されているといえるでしょう。
身も蓋も全面に意匠が施されたこの碗は、本来はおそらく十客の組物であったと想像されます。アメリカ・キンベル美術館には蓋がなく身だけが茶碗として所蔵されており、また蓋だけが個人蔵として伝わるものもあります
見込みには目跡が三ケ所確認でき、高台脇から下は土見せ、きめ細かで、ややさくい赤土が見てとれます。高台内には楕円形の白化粧下地の上に銹絵で縁取り、同じく銹絵で乾山銘が記されています。
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