色絵雲菊文手付汁次 美し 乾山 四季彩菜 図録解説
乾山焼において手付の水注形の作品は、東京の妙法寺に蔵される色絵花唐草文水注といった、大振りのいわゆる土瓶と、このような小振りの汁次とに分けられます。後者は、ちょうど銹絵染付掻落汁次(No.20、21)に把手を付けた形といえます。手付汁次には、他に薄文の施された五合組の銹絵染付の作例(大阪・逸翁美術館蔵)が知られています。把手のない汁次でさえ、その製品完成までには高度な成形と焼成の技術をもつ職人を必要としますが、これは手が付くことでさらに一段と卓越した技術が求められるといえるでしょう。
袋物とよばれるように、袋状になった身の部分、また蓋は、繊細なロクロ技術で成形され、注口と把手が後で付けられます。白化粧の下地を施して、銹絵で口縁に帯状に大内菱文、身と蓋に菊花と唐草文、注口に雲文と口先には縞文、そして把手には雲文と、非常に手の込んだ施文を施しています。透明釉を掛けて本焼後、赤で上絵付けされています。唐草文の部分は蝋引されていたのでしょうか、赤の上絵具が弾かれているように見えます。
底は土見せ、目の細かい、ややさくい土味が見てとれます。そこに白化粧下地のない短冊形の囲み乾山銘が銹絵で記されています。大内菱文が口縁に帯状に施された作例は、妙法寺の水注やアメリカ・メトロポリタン美術館所蔵の赤絵写茶碗があり、鳴滝窯跡の出土品の中にも同じ施文の陶片があります。上絵の赤色は色絵雲菊文寿字鉢(個人蔵)と共通し、唐物写の意匠の作品といえるでしょう。乾山銘は色絵薄図蓋付碗(No.11)など二条丁子屋町時代のものと同じであり、この汁次も同時期の製品と考えていいでしょう。
この一組の汁次は箱の作りから本来一対で伝わっていたようですが、途中別れ別れになり、その後再び二つがめぐりあって元の鞘に収まったというエピソードがあります。ほとんど瓜二つの作品。しかしよく見ると、形、図柄の配置に微妙な差があることがわかります。さて精巧なのはどちらの方? あなたのお好みはどちら? と、乾山がささやいてくるかのようです。
|