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展示スケジュールEXHIBITON 2003.7.20(日)〜8.20(水)
夏季特別展 生誕百年記念
小林秀雄 美を求める心
2003年7月20日(日)〜8月20日(水)
[月休 祝日の場合はその翌日]
主催 MIHO MUSEUM、日本経済新聞社
後援 文化庁、滋賀県、滋賀県教育委員会、NHK大津放送局
協賛 鹿島建設株式会社 特別協力 株式会社新潮社
協力 東レ株式会社   企画協力 株式会社ジパング
 ――近頃は、展覧会や音楽会が盛んに開かれて、絵を見たり、音楽を聴いたりする人々の数も急に増えてきた様子です。その為でしょうか、若い人達から、よく絵や音楽について意見を聞かれるようになりました。近頃の絵や音楽は難しくてよく判らぬ、ああいうものが解るようになるには、どういう勉強をしたらいいか、どういう本を読んだらいいか、という質問が、大変多いのです。私は、美術や音楽に関する本を読むことも結構であろうが、それよりも、何も考えずに、たくさん見たり聴いたりする事が第一だ、と何時も答えています――
 「美を求める心」は、そんな書き出しで始まります。昭和30年代、既に「批評の神様」と呼ばれて久しい小林秀雄が、若人に向けて、極めて平易な口調で、しかし確信をもって語った、美しく力強い文章です。難しいことはひとつも考えて頂かなくてよいのです。子どものように素直に読み進んで頂けば、やがて小林が、あなたに“美を求める心ってのは、こうゆうものなんだよ”と、心を込めて語りかけてくれるのが分かります。
 小林を美の世界へと誘ったのは青山二郎でした。青山二郎が何者であったかは、一種の天才というより他なく、論戦をすれば小林と対等に渡り合い、また、二人の弟子であり友人であった白洲正子をも論破し、しばしば泣かせた人物だったということに留め置きます。その青山二郎との対談記録の中で小林はこんなことを言っています。
 また、白洲正子は、最も有名な―美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない―という、小林の言葉に触れ、こう語っています。
 <これは世阿弥の「花」について語ったもので(中略)この美しい「花」を「物」に置き換えてみれば、小林さんが美についてどういう考えをもっていたか、知ることができる。―「美しい物がある、物の美しさという様なものはない」そこには叩けばピンと鳴る手応えがあるだけで、あいまいなものは何一つ認められない。物の美しさについて、人はきりなく喋ることができようが、美しいものは沈黙を強いる。小林さんは終始、そこだけに焦点をしぼって書いた作家である。相手は骨董でも文学でも絵画でも変わりはなかった。―>
小林  形なんてものは……つまり頭じゃ形はとらえられないのだからね。形というものはセンシビリティーの一番先が……修練されたセンシビリティーがつかまえるものだ。これには、今の舌の修練みたいな一つの訓練が要るんだよ。これはちょうど泳ぎみたいなもので、おしえることはできないんだよ。海に放りこめばバチャバチャやっているうちに泳ぎが自然と出来てくるというような……つまり人間の体全体の触覚、そういうもので、ぜんぜん頭では考えられないね。
青山  とんびが浮いているようなものだね。
小林  ジタバタしているうちに水に慣れるんだ。だから海の水に慣れるように、美しい形というものには慣れなければダメなんだ。だから、美しい形の海でもって人間は泳がなければいけない。そうしなければ形なんてものは解るものじゃないんだよ。そういうものが現代にはないだろう。
 今回の展覧会は、その小林秀雄が信じたものが並ぶのです。それは、小林さんの魂が目に見える形を持ったものです。そのことが感じられるためには何が必要でしょう。「美を求める心」には、その答えがあるのです。
 今回、最後のコーナーに展示してあるセザンヌの「森」は、最晩年、病床の小林が、無言のまま、いつまでもいつまでも熟視し続けた絵です。生涯、美を求め続けた小林秀雄。しかしその絵の感想は、ついに語られることも綴られることもありませんでした。
 小林はよく「俺は職人だ」といい、また、職人を信じていました。それは体全体を触覚にして材料の魂を読み取り、なるべき姿に完成させてゆく職人という生き方が、文章を書くことに通じることを知っていたからです。小林は対象になるものの魂の姿を確かめるように、徹底的に見たり聴いたりすることに集中しました。魂と魂がこすれて音が出るまで真剣に付き合って、はじめて「眼で触る」ことが可能になったのです。そして、その音を彼は文章で表しました。相手が絵画でも音楽でも人でも食物でも、死ぬまでその姿勢は変わることがありませんでした。



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