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柳橋水車図屏風 紙本金地着色 桃山時代(17世紀初) ![]() 伏見城御殿を華やかに飾っていたとされる、いわゆる「桃山百双」にならって、柳橋水車図屏風は桃山から江戸時代初期に盛んに制作されました。その作例が現在も多く残っていることがそのことをよく物語っています。柳橋水車図はそれぞれ一様に、ほぼ同じ形式的な構図となっています。中央に大きく配された川に架かる橋は緩やかに湾曲し、画面左の水面には水車と蛇篭(じゃかご)が配され、画面右上には月が浮かんでいます。畔の柳は右から左に進むに従って葉が生長し、春から夏への季節のうつろい、時の流れを表しています。 ![]() 柳橋水車図は、特定の場所を表す情景描写ではなく、金箔を使ったきわめて華麗な装飾屏風であると考えられています。織豊時代は、城郭内外の建築や工芸に湯水の如く金を多用した、現代のバブル期のような時代であったともいわれ、その意味では金地障壁画とともに屏風の代表作例のひとつといえるでしょう。しかしその一方で、この図を実景描写とし、その元風景を淀川ではなく室町時代末期の宇治川(宇治橋)図にその祖形が求められるとすると、宇治川と平等院の関係、藤原頼通の欣求浄土への想いと重ね合わせて、そこに仏教的要素、浄土の思想が暗喩されていると考えられなくもありません。一つの仮説に過ぎませんが、柳橋水車図の構図に表された橋は、金色に輝く浄土へと誘う渡彼岸の橋、彼岸と此岸を結ぶ橋であり、月は夜を照らす仏光の、水車は仏教的輪廻の象徴であると考えてもあながち飛躍的過ぎるとはいえないでしょう。 ![]() バーク・コレクションの中に仏教や神道系の美術品が多く見られること、この屏風がいつ入手されたか詳らかではありませんが、バーク夫人自ら「夫と私はいつも宗教的な作品を所有していましたが、夫の死後、それはもっとふえました」と述べてられているように、この柳橋水車図屏風の中に、藤原頼通と同じ想いを見られたのかもしれません。これもひとつのBRIDGE OF DREAMS、夢の掛橋であるといえましょう。 |
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紙本金地着色 江戸時代(17世紀) ![]() 在原業平を主人公として、歌を中心に風雅な挿話が展開されていく『伊勢物語』は、平安時代前期につくられました。この物語の諸段に絵を加えて絵巻や冊子として鑑賞することは、すでに10世紀から行われており、『源氏物語』の《絵合》の巻では『伊勢物語』がとり上げられる場面が出てきます。『伊勢物語』は短編が多く、内容がわかりやすいことから、王朝貴族の暮らしぶりや心持ち、また男女の心の機微が手にとるように伝わり、表現もスマートで庶民的な感覚にあふれています。王朝の古典文学の中で源氏物語と並んで、後世まで『伊勢物語』が絵画はじめ、さまざまな工芸意匠の主題として好愛されてきた所以でもあります。王朝貴族趣味を表現する琳派の画題としてもしばしば用いられました。俵屋宗達の工房が制作した一連の伊勢物語図色紙には、画風や詞書きの有無から、数種類が存在したと考えられています。 ![]() 本図は、『伊勢物語』の《第九段 東下り》、 行きゝて、駿河の國にいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、つたかえでは茂り、物心ぼそく、すゞろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。「かゝる道はいかでかいまする」といふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。 (蔦や楓の生い茂る宇津の山道に分け入る男の一行。道はさらに細くなり、いかにも心細い。そこへ偶然知り合いの修行僧。男は都にいる女のもとへの手紙を託した。) ![]() というくだりに取材した「宇津山図」で、俵屋宗達(生没年不詳)晩年の作と考えられています。鈍翁旧蔵の益田家本36枚のうちの一つであり、その中でも出色の出来栄えを示しています。蔦細道を暗示させる緑青と馬の三懸(さんがい)(面懸、胸懸、尻懸)の赤が効果的に使われ、烏帽子を被った、群青の狩衣姿の業平がいっそう金泥に映えています。画面右上には、「駿河なる/宇津の/山べの/うつゝ/にも/夢にも/人に/あはぬ/なり/けり」の和歌が添えられています。 |
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