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古墳時代に入ると、多色のガラス玉やペルシャ産のカットガラス、輸入された吹きガラスの器も現われます。古墳からは多くのガラス小玉が発掘され、いつの頃からかガラス原料の国内生産も始まりました。天武天皇の時代には総合的な工房があり、金・銀・鉄・銅・漆・鼈甲・瓦などと共にガラスが生産され、宮廷生活や巨大な造寺・造仏の装飾として使用されました。 | |||||||
ところが平安時代に入ると、大型のガラス器は極めて少なくなります。海外との交渉が途絶えて、原料・製品・技術ともに供給がむずかしくなったのか、日本人がもうひとつ、どうしてもガラスが欲しいと思わなかったのか、むしろガラスに替わって水晶が多用されるようです。 | |||||||
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ガラス製首飾り 古墳時代 |
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![]() 茶色ガラス製丸玉 古墳〜天平時代 とは言え、わずかながら舎利容器や経筒など、貴重なものを納める容器やその装飾にガラスが使われ、源氏物語や落窪物語では献上品を入れる贅沢な器として登場します。もっとも仏像、仏具、神宝などの瓔珞や象嵌材にはガラスが使用され、平安時代以降のガラス小玉は、なお多くが各所に伝えられています。 |
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![]() ガラスを整形する姿が本に印刷されたり、透明な容器を手に持つ女性が浮世絵に描かれたり、ガラスがようやく市民権を獲得し始めたのはこの頃でした。最も、まだまだ高級品であったことは否めませんが・・・。 |
さて、各時代のガラスを見ていくと、そこには必ず異国の影があります。それと共に、異文化の中で生まれたガラスを使いこなす、日本的なセンスと知恵が見られます。この展覧会を通して、透明なガラスを手にした日本人がどんな感慨を持って扱ったのか、その心に思いを馳せてみたいと思います。 |
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多色ガラス製丸玉・小玉 古墳時代 |