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2006年夏季特別展
和ガラスの心
−勾玉からびいどろ・ぎやまんまで−

2006年7月15日(土)〜8月20日(日)

   日本では弥生時代からガラスが現れました。最初は装身具として瑠璃色の玉が多く用いられますが、やがて外国から来た原料を溶かし、型に入れてガラスの勾玉を作り始めます。緑色や青色に輝くガラスの勾玉は、水晶や硬石の玉とともに、弥生人の胸を飾っていたことでしょう
   古墳時代に入ると、多色のガラス玉やペルシャ産のカットガラス、輸入された吹きガラスの器も現われます。古墳からは多くのガラス小玉が発掘され、いつの頃からかガラス原料の国内生産も始まりました。天武天皇の時代には総合的な工房があり、金・銀・鉄・銅・漆・鼈甲・瓦などと共にガラスが生産され、宮廷生活や巨大な造寺・造仏の装飾として使用されました。
   ところが平安時代に入ると、大型のガラス器は極めて少なくなります。海外との交渉が途絶えて、原料・製品・技術ともに供給がむずかしくなったのか、日本人がもうひとつ、どうしてもガラスが欲しいと思わなかったのか、むしろガラスに替わって水晶が多用されるようです。
水晶製勾玉/ガラス製環
水晶製勾玉
弥生〜古墳時代
ガラス製環
ガラス製首飾り ガラス製首飾り
古墳時代


茶色ガラス製丸玉
茶色ガラス製丸玉
   古墳〜天平時代

   とは言え、わずかながら舎利容器や経筒など、貴重なものを納める容器やその装飾にガラスが使われ、源氏物語や落窪物語では献上品を入れる贅沢な器として登場します。もっとも仏像、仏具、神宝などの瓔珞や象嵌材にはガラスが使用され、平安時代以降のガラス小玉は、なお多くが各所に伝えられています。
緑ガラス製勾玉/瑪瑙製勾玉/硬玉製勾玉
緑ガラス製勾玉
弥生〜古墳時代

瑪瑙製勾玉
弥生〜古墳時代
硬玉製勾玉
弥生〜古墳時代
   江戸時代―17世紀後期以降には、ようやく国内でびいどろの器の生産が行われます。僅かに外国に開いていた長崎を通して、ヨーロッパや中国から入って来るガラスを手本に、吹きガラスの風鈴や器が作られました。19世紀に入ると、ぎやまんと呼ばれる上質で厚みのあるガラスも制作されます。色被せのガラスに切子で文様を表す技術が現れ、中にはぼかしの効果を生かした日本独自のデザインも現れます。ガラスという素材に日本人の感性がなじみ始めたのでしょうか、他国には見られない薄手で繊細な吹きガラス容器も発達し、江戸時代の和ガラスのセンスの高さは、特筆すべきものと言えましょう。

   ガラスを整形する姿が本に印刷されたり、透明な容器を手に持つ女性が浮世絵に描かれたり、ガラスがようやく市民権を獲得し始めたのはこの頃でした。最も、まだまだ高級品であったことは否めませんが・・・。
   さて、各時代のガラスを見ていくと、そこには必ず異国の影があります。それと共に、異文化の中で生まれたガラスを使いこなす、日本的なセンスと知恵が見られます。この展覧会を通して、透明なガラスを手にした日本人がどんな感慨を持って扱ったのか、その心に思いを馳せてみたいと思います。

多色ガラス製丸玉・小玉
多色ガラス製丸玉・小玉
古墳時代



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