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![]() 中央アジアのオクサス川沿いに栄えたバクトリアとソグディアナは古くから貴金属貴石を供給する国として知られていたばかりでなく、古来メソポタミアとインダスの古代文明をつなぎ、アレクサンドロス東征以降は地中海文化と西アジア、インド、スキタイ文化を融合させた文明の要衝でした。中世初期にシルクロード交易の主役を担ったソグド人は、こうした独特の中央アジア文化を東に伝え、やがて唐の国際文化創生にもつながって行きました。本展はタジキスタン国立考古博物館から古代バクトリア、ソグディアナの名品五点を迎え、およそ四千年の広がりを持つ中央アジア青銅器時代からイスラム期ペルシアに至る作品百余点で構成します。広範な文化交流の底流に人類普遍の至福を追い求める心を感じ取って頂けましたら幸いです。
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資源交易で栄えたバクトリアでは、美麗な秤量原器が権威の象徴となりました。この10kgあまりの分銅は、当時の重量単位で約12000単位に相当します。 |
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タジキスタン・タフティサンギンのオクサス神殿址からは、小アジアのギリシアの川神マルシュアスの姿を象った小像が見つかっています。銘文からこれはオクサス神に捧げられたもので、拝火教の川神を表したものと思われます。アレクサンドロスのペルシア征服の後、中央アジアに移住したギリシア人の精神世界が反映しています。 |
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タフティサンギンからはギリシアの海馬形の飾板も見つかっています。海馬はそれに乗って海をわたり死後の楽園へと至る存在でした。こうしたギリシアの死後の楽園イメージは、後に仏教の極楽イメージと結びつきました。 |
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漢の武帝は中央アジアの天馬を求め何度も使節を派遣しました。その時に持って行った金馬はこのようなものだったのかも知れません。この馬はほぼ正確に当時の一鈞という重量に相当するからです。この使節隊は、オアシスルートを往来するキャラバンの始まりでした。 |
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イランの神話に登場する聖樹とそれが生え出ている海のイメージは、ササン朝ペルシアの中央アジアで好まれた楽園意匠を構成しました。この伝統は、イスラムの時代にも受け継がれました。 |
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