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染分け小花文帯地

染分け小花文帯地
1960年頃

津村小庵文帯地
1967年
   芹沢先生の文様の明るさは、自然の風物が持っている、やさしい風と日光と、すくすく育つ草木や虫たちの明るさだと思う。芹沢先生がお使いになる色は、海山川が最高にご機嫌な笑顔を私たちに向けてくれたときの、その色に似ている気がする。

   「花は紅、柳は緑」この単純な真実が、赤絵の魅力の原点だと思う。芹沢先生の文様があれほどバラエティーに富みながら、どれも胸の奥まで響いて来るのは、この真実にしっかりと軸足をおかれていたせいではなかろうか。

   「いつもの事ながら 赤絵を想ふと 模様が出てくる」

   「沖縄から、九州、大阪、東京へと、道すがら地べたに筵を敷いて、赤絵を売って歩こうか。」

   芹沢先生は巡礼の旅に出たいと、よく話しておられたという。その旅に着て行く衣装も決まっていたのだとか。

津村小庵文帯地
人の字

人の字
1965年

洲浜形四季文四曲屏風
八十七翁

  八十七翁
  1982年



洲浜形四季文四曲屏風
1970年
   「八十七翁」という作品には、藍染の着物に笈を背負って杖を突いた先生が、家族やお弟子や猫やらを引き連れ、幟を立てて行脚する姿が描かれている。

   「八十七翁 家を出づ 十大弟子負って 胸突八丁」

   翁の透明なまなざしには、埃っぽい街道筋のそこここに、小さな草花や人々の人情が、赤絵の文様となって浮かんでいたのではなかろうか。
 
 講演会予定 MIHO MUSEUM 南レクチャーホールにて 
7月17日(日) 14時 「父・_介の生活と仕事」
東北大学名誉教授、東北福祉大学名誉教授
東北福祉大学 芹沢_介美術工藝館 館長
芹 沢 長 介 氏
8月14日(日) 14時 「デザイナー・芹沢_介の仕事」
静岡市立芹沢_介美術館 主査(学芸員) 白鳥誠一郎 氏



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