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中国 美の十字路展
       〜大唐文明への道〜 中国 美の十字路展
       〜大唐文明への道〜
2005年9月17日(土)〜12月15日(木)

主催=MIHO MUSEUM、日本経済新聞社、
京都新聞社、中華文物交流協会
後援=中国国家文物局、中国文物交流中心、中国大使館、滋賀県、
滋賀県教育委員会、NHK大津放送局、びわ湖放送株式会社
協力=日本航空
企画協力=大広
   後漢(1〜3世紀)から盛唐(8世紀)に至る数百年間は不安定な混乱の時代とみられがちですが、ローマ、ペルシア、インド、中央アジアなどの異なった民族や文化の精華が行き交い、やがてきらびやかな国際文化−大唐文明を生み出した偉大なる創造の時代であったとも言えます。この様々な人々と美しきものが交錯する十字路と化した激動の時代を、中国全土40以上の博物館、研究機関の所蔵する210件、内6割以上を一級文物(国宝)で構成する作品群で辿ります。

車馬行列俑
銅、後漢
甘肅省武威市雷台漢墓出土
甘粛省博物館蔵

漢から南北朝へ
     ─南北の分裂と融合
   漢帝国が前3世紀に中国を統一すると、頻繁に北辺を侵す匈奴に対抗するため優秀な馬と同盟を求め西域に進出しましたが、これが満を持したシルクロード形成につながりました。彼らは不死を求めて西域の玉を尊び、神仙世界を様々に表現し、西域由来の“天馬”や瑞獣の造形を好みました。
   3世紀に後漢が滅びると魏呉蜀の三国に分かれこれを晋が統一しました。間もなく華北は北や西から進入した遊牧民五胡の興亡の舞台となり晋は南下、南北朝の分裂時代が到来しました。この遊牧民の装飾品、馬や駱駝の俑、繊細な透彫の馬具装飾などにはユーラシアステップや中央アジアと親しい民族性が窺えます。華南では青磁が焼かれ、磚画で建築を装飾し、書画では名のある芸術家を輩出するなど貴族趣味の流麗柔和な様式を生み出した漢文化が熟成されました。
   5世紀には五胡の一つ鮮卑拓跋部の建てた北魏が華北を統一しました。彼らの形象表現は陶俑や壁画に見られるように表情が豊かで変化に富んでいます。陶器では華南の影響を受けた黒釉磁や青磁から始まり次第にその独自性を発揮し、全面に連弁などの貼花文様を施した青磁や西域由来の意匠で飾られた器の他、後の三彩陶につながる複数の色釉をかけ分けた器も出現しました。6世紀北魏は分裂しましたが、その血脈は隋・唐王朝の華北と華南を含む天下統一につながって行きました。  



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