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東南アジア


ヒンドゥー教と仏教は主に南インドから東南アジアに伝わり、クメール王朝の時代にはインドの神々と祖先と仏が矛盾することなく共存しました。後に初期仏教の姿にちかい上座部仏教が主流となりましたが、生類を分け隔てなく愛する彼らの仏はやさしいほほえみをたたえています。

東南アジア
東アジア 東アジア

東アジア世界を一変させた漢の崩壊と遊牧民の王朝の出現は、シルクロードを介した文物交流の繁栄と、とりわけ仏教の隆盛をもたらしました。それは同時に仏像、菩薩像そして供養者像のほほえみの到来でもあったのです。

埴輪

古代日本の権力者は古墳を造営し、その上には埴輪が立てられました。それは聖域の結界や祭祀の器を象ったものでしたが、後には葬送のもようを伝えるような、様々な人物、動物の形象が現れました。埴輪の面立ちは極めて簡素で、古代人のおおらかなほほえみが感じられます。
埴輪
 
 
童顔の仏たち

白鳳時代と平安時代後期には童子形の仏像が好まれました。当時の仏教をささえた女性の感性のあらわれだったのかもしれません。そこにはたくまざるほほえみが生まれました。
童顔の仏たち
神仏習合 神仏習合

神々が仏法に帰依し僧形となる“神仏習合”は唐からもたらされ、日本では僧形のほか仏や菩薩という救うものの形をとりました。更に古来の山岳信仰と融合し、修験道が生まれました。この流れを汲む円空は十二万の仏像を作る大願を発し各地を行脚しました。円空仏の純朴なほほえみは、生み出し育む自然のやさしい心を感じさせます。
六地蔵

地蔵尊は古来墓地の入口や鎮魂の場所に成仏を願って立てられましたが、これにより結界という意味合いも生まれ、道端に祀られたサエノカミや道祖神の信仰に融合していきました。道行く人々を守る道祖神やお地蔵さまは、正に産み出し恵み育む自然のほほえみをたたえています。
六地蔵
主 催:MIHO MUSEUM 中日新聞社 日本経済新聞社
後 援:滋賀県 滋賀県教育委員会 NHK大津放送局 びわ湖放送株式会社



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