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ペルシアの都ペルセポリスの宮殿の浮彫に表現された属州からの貢物の中には、アンフォラ形のリュトン(水差)は見られますが、曲がった角形に獣形をつけたリュトンは見られません。この形のリュトンは前5世紀から前4世紀にかけて、小アジアやイラン西部から広まったものと考えられます。 |
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古代オリエント世界を統一したペルシアは、属領の自治を認めるとともに、各地の優れた資材や人材を集めて都を建設しました。こうしてできあがったペルシアの宮廷様式は、多くの部分で共通する要素を持った、一種の国際様式だったのです。そして間もなくペルシア型のリュトンが誕生しました。 |
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前4世紀頃エジプトの墓の壁には、金属工房の様子が浮彫されているものがあり、この作品に似たリュトンが製作されている場面も見られます。この浮彫はエジプトにこのような工房がペルシア時代から存在したことをうかがわせます。 |