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相谷熊原遺跡土偶
滋賀県教育委員会蔵 秋季特別展
土偶・コスモス
会期 9月1日(土)〜12月9日(日)
主催:MIHO MUSEUM、京都新聞社
後援:滋賀県、滋賀県教育委員会、NHK大津放送局、BBCびわこ放送、エフエム京都
(後援団体は予定) 板状有脚土偶※
青森県埋蔵文化財調査センター蔵
 日本人が家を建てて住むようになったのは、縄文時代・約1万5000年前からだと言われています。それまでは食糧を探して、旅を続ける毎日でした。持ち物と言えば自分の手で運べるものだけで、明日の暮らしに役立たなかったら、何もかも捨てて行くしかなかったことでしょう。
 そんな生活が一変しました。家を構えて住むようになったのです。様々な理由が考えられます。気候が温暖になって自然の中に食べ物が増えたこと、もう一つの大きな理由は、土器を作り始めたことでしょう。土器・・・それは水を入れて火にかけることができる、初めての道具でした。煮込むことで、多くのものが食糧に変わりました。もう転々としなくても生活できるようになったのです。 赤彩注口土器(北海道指定有形文化財)
八雲町教育委員会蔵
滑車形耳飾り(重文)
桐生市教育委員会蔵 仮面土偶(重文)※
韮崎市教育委員会蔵  人々は、家を作り始めました。様々な道具を取っておけるようになりました。ここに縄文文化の、確かな歩みが始まったのです。そして土器を世界で最初に作ったのは、日本人である可能性が非常に高いと言われています。
 さて縄文時代が始まったばかりの頃、今の滋賀県や三重県、あるいは関東地方に住む人々の中に、土で人形を作る者がいました。木や草でも作ったかもしれませんが、1万年以上前のこととて残っていません。残ったのは土で作って焼いた人形─土偶です。縄文時代草創期、早期の土偶は、驚くべきナイスバディたちです。こんな豊満な女性が実際いたのでしょうか?頭はありません。手も足も下半身もありません。そしてめっぽう小さいのです。まるで、手の中に隠せる大切な宝物のようです。
 それから数千年の間に、土偶には頭や手足が生えて来ました。けれどもへんな顔です。顔と言えないものがたくさんあります。縄文人は造形が下手だったのでしょうか?いいえ、あの素晴らしい土器を作った人々です。粘土の扱いと焼き方を知り尽くしているのですから、下手な筈がありません。この変な顔、変な身体こそ、彼らが作ろうとしたものなのです。
円錐形土偶(重文)
南アルプス市ふるさと文化伝承館蔵
硬玉製大珠 
山梨県笛吹市三光遺跡出土
笛吹市教育委員会蔵
三角形土版※
十日町市博物館蔵
※の写真は(有)藤森、その他の写真は所蔵者提供。



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