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MIHO MUSEUM STORIES
建築家 I.M.ペイのこだわり その5
桃の花咲乱れる林を行き、洞窟を抜けるとそこは桃源郷
−もしもあなたが桃源郷をつくるなら…?
エントランス  
  MIHO MUSEUM のエントランスに入ると、温かい肌合いのようなものを感じる。壁も床も肌色なのだ。外国の雑誌にハニーカラーなどと書いてあるこの石はライムストーン、フランス産のマニドリという石である。
  かのルーブル美術館のレセプションホールにも同じ石が使われていて、よほどペイ氏のお気に入りらしい。大理石よりもほの柔らかい雰囲気を醸しだし、それでいて落ち着きがあり軽快。銀色のスペースフレームや木目調のルーバー、窓外の緑、あらゆる色を無理なく包み込んで中和し、まるで母の胎内にいるような安心感を与える石、上質のババロアのような、と言ったら言い過ぎだろうが、とにかく居心地の良い石なのである。 
  ペイ氏は、この石を床、壁、階段、そして外壁と、全てに駆使した。もともと湿気には強くない石なので、外壁は広大な防水処置を必要とした。更に、ペイ氏自慢のカラーコンクリートは、この石と同じ色を目指した。
  石は着々と嵌めこまれ、特に壁がカーブするところには、薄い石同士を角で突き合わせるのでなく、石ブロックをそのまま削って角とし、石の重厚な厚みを贅沢に発揮している。階段や出入り口などあらゆるコーナーに石の半端な切れ端ができないように、石工さんはとてつもなく頭を使い、その結果、実に美しく石は嵌め込まれた。壁の石と石の間の目地には、柔らかい材料が充填され、地震などで多少の動きがあっても、石がダメージを受けないように工夫もされた。  
  そこまで出来て、建設会社が胸を張っていたとき、ペイさんはまたやって来た。最終点検である。ペイさんは言った。「この、ややダークカラーのライムストーンを、明るい色のライムストーンに替えられませんか?」それのみではない、返事を待たずに彼は、石工さんを連れて館内を歩き始めたのである。もちろん、どの石を替えるか指示するために。建設会社は頭を抱えた。ここまで美しく納まったのに、やりなおしてきれいにいくのか、いや間に合うのか、その前に石はあるのか?
  幸いなことにというべきかどうかわからないが、石はなかったのである。このライムストーンマニドリは、何でもロマネスクコンティという高級ワインを造るための専用ブドウ畑の下にある。地下13メートルの深さからこの石を掘り出すには、ブドウ畑が土を替える時期を見計らって、急いで掘るしかない。今この石を取り外したら、開館までに石は間に合わないとのことである。
  残念ながら涙をのんで、ペイ氏はあきらめて下さった。全部が明るい色のライムストーンなら、また趣が違っただろうが、今のこの明暗ないまぜの壁の色も悪くない。月夜の晩などには、かえって幽玄に見えることさえある。このへんは、清濁合わせ飲むのが得意な日本人の好みだろうか。さて、あなたはどちらがお好き?なんて聞いたら、ペイさんに叱られるかもしれない。

I.M.ペイ氏について
エントランス

1917年
  中国・広東州で生まれる。
1940年
  マサチューセッツ工科大学卒業。
その後20世紀を代表する建築家として、現在も活躍している。

主な作品
1976年 ジョン・ハンコック・タワー 
(ボストン)
1980年 ボストン美術館西館
(ボストン)
1993年 グラン・ルーブル(パリ)
1997年 MIHO MUSEUM(信楽)
2001年 中國銀行本店(北京)



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